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「脱原発の」ドイツでも最終処分に混迷 住民反発、宙に浮く処分場

「脱原発の」ドイツでも最終処分に混迷しています。原子力発電による使用済み燃料から取り出した核のゴミの最終処分をめぐる問題。日本と同様、最終処分に見通しが立たないでいる国の状況をまとめてみました。

核のごみへの責務 原発国はいま

「脱原発の」ドイツでも最終処分に混迷している原子力発電ですが、2016年9月21日、首相官邸での原子力関係閣僚会議。「廃炉を含めて抜本的見直しを行う」。30年以上にわたり、総額1兆円を超える国費が投じられた国家的プロジェクトが、水の泡に帰す方向性が決定的となった瞬間でした。菅 官房長官が初めて公に、福井県敦賀市にある高速増殖炉原型炉「もんじゅ」の廃炉についてコメントします。発電をしながらでも燃料であるプルトニウムを消費した以上に生み続ける、かつては<夢の原子炉>と呼ばれた、高速増殖炉原型炉「もんじゅ」。日本は資源の乏しい国なので、永続的にエネルギーを生み出す核燃料サイクルの確立に向けて、電力の中心的な役割をを果たす予定でした。核燃料サイクルには、原子力発電から生まれた再利用しきれない高レベルでの核のゴミ、放射性廃棄物の減量に期待もかけられています。日本での核のゴミの最終処分は、あくまで核燃料のリサイクルでの運用が前提となっており、閣僚会議では、この核燃料サイクルを変えないという方針は打ち出されましたが、実用化レベルにまで近づけている「増殖炉」が実際ない中で、実現できる保証はどこにもないのが現状となっています。福島事故後、原発に厳しい視線が注がれる中、着地点が見えなくなった原子力政策。しかし、これは日本に限った話ではなくかつて、核燃料サイクル構想を描いていた「脱原発の」ドイツでも東京電力福島第1原発事故後、脱原発色を強める一方で、苦悩を深めていました。

風評被害を懸念 

ドイツの首都ベルリンの西約200キロに位置するニーダーザクセン州ザルツギッター市郊外。のんびりしとた、のどかな田園風の風景が続く平地に、鉄鉱山だった時代の立て坑2カ所がぽつんと残る「コンラッド処分場」は、かつての坑道を利用し、地下800~1300メートル地点が、廃炉となった原発の設備などを含め、中低レベルの放射性廃棄物の最終処分場になることが決まっています。東京ドーム約80万個分、30万3千立法メートルまで廃棄できると定められ、2007年から建設に入り、2022年の操業を目指しています。しかし、その道のりは簡単ではなくドイツ、コンラッド処分場の北東約20キロ離れた同州アッセの岩塩鉱山を中低レベルの試験的な処分場とし、1967年から廃棄物を運び込みましだが、坑内に地下水が流れ込んだことが判明。不安視する声が上がり、1978年に操業を終了し、2009年に実施主体になった連邦放射線防護庁(BfS)が、内部の廃棄物を回収しコンラッドへの運搬を決めましたが、具体的な方法までは定まっていません。コンラッド処分場周辺に並ぶ家々の大半は「もしアッセと同じようなことがあればどうするのか」と黄色いドラム缶を掲げ、処分場の受け入れに反対の意思を示し、受け入れに反対する団体代表、ウルスラ・シェーネベルガー(54)氏は、「コンラッド周辺は土壌が豊かで、処分場の操業で風評被害による農作物や雇用への悪影響も懸念されている」と訴えます。また、より強い放射線を出す高レベル放射性廃棄物をめぐっては、さらに混迷を極めています。ドイツでは1970年代から同州ニーダーザクセン州のゴアレーベンを放射性廃棄物の最終処分場候補地として政府が提案。激しい反対運動の中、地層探査が行われてきましたが、東京電力福島第1原発事故後、政府がゴアレーベンについて白紙に戻し、2013年には最終処分場選定のための新法が成立。2031年の最終処分場決定を目指しますが、放射性廃棄物の最終処分場という「不安施設」の候補地は、どこに決まっても住民の反発は避けられないことが現状となっています。行き場を失った、原子力発電で生じた放射性廃棄物そのものは、脱原発にかじを切っても、現実そこに残されたまま。コンラッド処分場に反対を強く唱える住民のルートビッヒ・ワスモス(57)氏も「解決法は分からない」とだけ話します。

 

市民と対話重ね 

コンラッド処分場の広報活動を目的とするのインフォメーションセンターのガラス張りになっている建物の出入り口に掲げられた、連邦放射線防護庁(BfS)のメッセージには、「埋めるべきものはあるけれども、隠さなければならないものは何もない」廃棄物について正面から考えようと訴えます。コンラッド処分場に長年携わった、連邦放射線防護庁(BfS)の元職員、ギュンター・シャハト(65)氏も「市民との対話を重ね、廃棄物処理に道筋をつけなければならないと考える多くの物言わぬ多数派市民の存在を知った」、「ただ解決しなければならない課題だという理解はあるが、協力するという形にはならなかった」と、寂しそうにこう語りました。