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生稲晃子さんの 乳がん 闘病生活告白について

生稲晃子さんの 乳がん 闘病生活告白についてまとめてみました!

生稲晃子さんの乳がんのステージやタイプは?

アイドルグループ「おニャン子クラブのメンバーとして人気を博し
、解散後は女優業などで活躍してきた生稲晃子さん(48)。
5年前の春、右胸に乳がんが見つかり、治療と乳房再建のために5度の手術を経験した。闘病の日々を支えたのは仕事、そして家族への思いだった。

プロフィール

【生稲晃子】(いくいなあきこ)
本名:佐山晃子(さやまあきこ))
女優/タレント
生年月日 :1968年4月28日
(おうし座)
現年齢:48歳
出身地:東京都小金井市
身長: 158cm
血液型: B型
デビュ-:1986年
ジャンル アイドル
所属グループ おニャン子クラブ
家族:佐山 智洋(夫)
事務所:プロダクション尾木
主な出演作
テレビドラマ
『キッズ・ウォー』シリーズ
『暴れん坊将軍VII・VIII』他

 生稲晃子さんの乳がんのステージは?

タイプは?症状は?転移の可能性は?

おにゃんこクラブ解散後、女優を続けている生稲晃子さん。
先日、約5年に及ぶ治療、闘病生活、病気の症状などを告白されました。

 

ステージが5段階に分かれている乳がんですが0から始まりステージ4が最も重症であると示します。

 

【ステージ0⇒生存率95%】
癌細胞が上皮内にとどまり、リンパ節には届いてないので転移の心配はなく手術で癌を摘出すれば完治することが多い。

生稲晃子さんが1回目の手術を受けたのはこのステージ0の時。早期発見だったこともあり摘出ではなく、放射線治療を選びました。
「こんなに早期で発見できたのは幸運ですよ」と担当医に言われたそうですが、約1年過ぎた頃再発。
次のステージに進行しました。

【ステージ1⇒生存率89%】
筋肉層まで腫瘍が広がってきているが、リンパ節には届いていない。このステージでもリンパ節には届いていないので転移の可能性は低く完治する事が多いそうです。

生稲晃子さん、この時も日帰りの放射線治療を選びました。


<3度目の再発>
生稲晃子さんが3度目の再発をした時は、「ステージ2」でした。

【ステージ2⇒生存率78%】
癌は、リンパ節には届いていないが筋肉層を超え癌が広がりつつあるか、もしくは腫瘍は広がってはいないがリンパ節に少し転移している状態。
この辺りから転移していく境目になり、場合によっては余命を宣告されることもあるようになります。

生稲晃子さんは担当医から「これで最後の手術ではありませんが、次に再発したら命の保証もできません」と告知されています。

そして2013年12月27日に全摘出手術を受けました。

この時点で生稲晃子さんのステージは後半のステージまで来てしまったと言われ、悪くなれば余命宣告・・・?
ということにもなりかねないスレスレの状態だったようです。

 

これ以降から生存率がグッ下がります。

【ステージ3a⇒生存率58%】

【ステージ3b⇒生存率52%】
癌の腫瘍が広がりリンパ節に転移している状態。

【ステージ4⇒生存率25%】
末期癌の状態であり腫瘍が他の臓器にも転移している状態。


生存率が高くても、100%助かると事ではないのでやはり早期発見のための定期健診や、なにより食生活の改善がもとても重要であるとも言われています。

 

生稲晃子さんは、温存手術や摘出手術を行いましたが、乳がん手術後はとても辛い症状があったそうで放射線治療により腕が上がらなくなり、日常生活を送るのも大変な中、周りに公表せず孤独の中、乳がん治療を続けていたそうです。

 

【生稲晃子さん】

担当医から右胸の全摘出を勧められました。2度目の再発から摘出手術までの約3カ月間、まったく自分らしい生き方、考え方ができなかった。それまでの人生を振り返って「何か悪いことをしたのだろうか。罰が当たって今こうなのかもしれない」「なんで私が」「なんでこんなことに」…。答えの出ない問いが、頭の中を駆けめぐりました。

 でも、あるとき担当医の言葉を思い出したんです。
「命を優先しましょう」と。長女(10)のことを考えました。「この子が1人で生きていけるようになるまで、死ぬわけにはいかない」。私の4年8カ月の闘病生活は、
このときが底。そこからは前を向くしかないと思えました。

 25年12月、右胸の全摘手術を前に、娘と家の近所の銭湯に 行きました。娘が前から行きたがっていたんです。

「全摘手術をしたら、もう人前で裸になる勇気は持てないかもしれない」
と思って、2人で出かけました。昔ながらの銭湯で、娘は家とは違う大きなお風呂を喜んでいました。この日は楽しくて、悲しい日でした。本当に時間が止まってくれたら。そう思いました。

 

右胸の全摘手術と同時に乳房再建術を受けましたが再建のためにはまず、皮膚の内側に

ティッシュエキスパンダー(組織拡張器)と生理食塩水を入れ、皮膚を伸ばします。

ところが、私は最初のがんで放射線治療を受けたため、皮膚がなかなか伸びません。
痛みという面では、このエキスパンダーによるものが一番つらかったです。

その後、エキスパンダーなどを取り出し、シリコンを挿入する手術を受けました。

 がんを公表せずに仕事をしていたので手術の翌日に、撮影で腕を上げなければならないこともありました。「四十肩なので」などとごまかしましたが、お世話になっているスタッフや共演者の方たちに、病気を隠していることが心苦しかった。それでも仕事中は病気を忘れられた。仕事は大きな支えでした。

 もう一つの支えはやはり家族ですね。娘は「ママががん」ということを、誰にも言いませんでした。あの子なりに母親の状態を理解してくれていたと思います。夫も娘も病気になった後も、変わらない態度で接してくれた。普段通りに。それにはすごく感謝しています。

 今も3カ月に一度は検査を受けています。がんと闘った5年間で学んだことは「普通を保つ」ことの大切さです。つらいからこそ、仕事も家庭も普段通りに、穏やかに生きようと頑張りました。それが逆境に打ち勝つ力になったと今、改めて感じています。

とコメントされています。

 

 そんな闘病生活を送りながら生稲は、「ちい散歩」、および後継番組の「若大将のゆうゆう散歩」(テレビ朝日系)にてレギュラー出演を続けていた。そして今年9月の番組終了を機に、今回の乳ガン公表に至ったという。そんな生稲の闘病生活について、乳ガン患者との交流が深い医療系ライターが解説する。

「生稲さんが最初に選んだ温存治療は放射線治療とセットとなっており、放射線を照射すると皮膚が硬くなるので、その後の再建手術は難しくなります。乳房再建ではエキスパンダーという器具を挿入して内側から皮膚を伸ばしていきますが、生稲さんのケースでは相当な痛みを伴うはずです」


 その眠れないほどの痛みのため、乳房再建中の患者には睡眠薬が手放せない人も少なくない。また乳ガンでは手術した側の腕を上げる動作も難しくなるので、生稲は番組収録では四十肩だと言ってゴマかしていたのだという。

「家事はもちろん、服を着るのにも苦労するほどの痛みを隠し通してきた生稲さんの強い心には、本当に胸を打たれます。乳ガン患者の間でもさっそく、大きな話題になっていますね」(前出・医療系ライター)


 そんな生稲の告白は、治療中でも普通の生活を続けられることを示した点で、大きな意味があったと言える。闘病中の乳ガン患者に勇気を与えたのはもちろん、これから手術を受ける患者にも大きな希望を与えたと、医療系ライターが解説する。

「乳房再建に保険が適用できるようになり、全摘しての再建を選ぶケースが増えています。それでも患部のみを切除する温存治療を選ぶ人が多いのもまた事実。しかし病院では、温存治療を選んだ場合のリスクを丁寧に教えてくれないところも少なくありません。それゆえ生稲さんのケースが公表されたことで、多くの女性が乳ガンに関する知識を得ることができたと言えるでしょう」

 温存治療であっても全摘であっても、正しい知識を得ることは何より重要だ。医療系ライターが昨今の状況に警鐘を鳴らす。

「切除後の傷口が痛々しいとか、抗がん剤で顔がパンパンになるといった情報がいらないとは言いませんが、患者が本当に必要としているのはどんな治療法を選択すべきかということ。ネットや書籍での情報収集に加えて、患者同士の交流会や乳ガン学会の患者セミナーなどに参加することにより、最新の情報に接することができます」

 一昨年の全摘手術以降は体調が安定しているという生稲。今回の告白で精神的に楽になったとのだという事です。